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2012/12/30

バルトの国とスウェーデンの旅−11(工事現場編)

職業柄、旅行中見かけた工事現場はなんとなく気になります。

◆トルコ・イスタンブールのアヤ・ソフィア
 アクロバティックな足場だ・・・


◆同じくアヤ・ソフィア
 現場じゃないけど、年月の経過で柱の建ちがこんなに・・・直さないんかな


◆ラトヴィア・リーガの旧市街にて


クレーンのオペさんは地上ではなくて、上空のあの箱の中にいるんでしょうか


現場事務所のよう


◆リトアニア・カウナスの旧市街で
 仮設のシートに建物のファサードがプリントされてるのがナイス!


◆リトアニア・ヴィリニュス
 ご苦労様です


 普通にマンションも建設されてました




◆リトアニア・トゥラカイ
 寺院?教会?の修復



みなさん、ご安全に!

バルトの国とスウェーデンの旅−10(ヘルシンボリ)

友人との9年ぶりの再会。

スウェーデン人4人の友人家族の家族構成は・・・
妻:Åsa(48歳)日本でいうとハローワークみたいなところで働いている
夫:Christer(54歳)地元の新聞記者
兄:Theodor(16歳)
弟:Elliot(12歳)

Åsaは数年前に働き過ぎて体調を崩したということで今は15:00まで仕事してるそうです。
スウェーデンでの働き過ぎは、日本だとそんなの全然だよと言われてしまいそうですが、生活をとても大事にするスウェーデンを含むヨーロッパの国での働き方はとてもうらやましいと思います。
Christerの方も同じく以前体調を崩して今は16:00までの仕事で、ジムに寄って帰ってきました。
新聞記者はめっちゃハードワークのイメージですが、やっぱり日本とは感覚が違うのでしょうね。
9年前に会ったときには、Christerが育児休暇を取った話を聞いたり「今日は残業だったよ」と疲れた顔をして18:00くらいに帰宅してびっくりしたものでした。

彼らは築30年くらいの建売住宅を13年前に買って、できるだけ自分たちの力で手を入れながら暮らしています。
キッチンは業者さんにも入ってもらって今年新しくしました。


料理はもちろん夫婦で作ります。
2人ともとてもきれい好きで、使い終わった場所はすぐに拭いて新しいキッチンをキープしています。
普段の食事はこのキッチンのテーブルでとります。
そして、ちょっと改まったときやお客さんを迎えての食事にはダイニングを使います。


ナプキンをお花のように折ったのはChrister。
すごく器用な人なんです。

外の気温はマイナスにもなりますが、室内はすごく暖かくて子供たちは家では半袖で過ごしています。
窓のガラスはトリプルで、1日中家中の部屋のラジエーターがついているのです。
なので、扉を閉めているのはトイレくらいというオープンな生活ができるのですが、年間の電気代はすごいことになるそうです。
そのときの為替がよくわかってなかったのですが、たぶん20万円くらいだったと思います。
夏場は涼しいから空調いらずなので、冬場の暖房費は1ヶ月あたりにするとすごそうですね。


ここでは料理は大皿から各自食べる分だけ自分のお皿に取るスタイルですが、私は客ということでいちばんに取らせてくれます。
が、これがちょっとしたプレッシャー。
みんながどれだけ取るのか予想もつかないまま、美味しそうだとつい取り過ぎてしまいそうだし、少なすぎて遠慮してると思われるのも困るし。
ただ、こちらの人は料理が残っても全然気にせずジップロックとかに入れて冷蔵または冷凍しちゃうので、日本での「残したら失礼」的な心配はありません。


この夜は手をかけたラザニアをメインにおいしくいただきました。

夕食後、子供たちは自分の部屋でパソコンでゲームなどしてるようでしたが、大人は場所をリビングに移してチョコやスナックなどをつまみながらワインを飲んでおしゃべりです。


リビングにはテレビもパソコンもなく、音楽をかけて本当にゆったりするためのスペースでした。




こちらの人は夜もカーテンをせず、窓際にランプを置くスタイルが多いのでしょうか。
そうすることで家を美しく見せるとともに外から中を見えにくくしてるかもしれません。
暗くなると、家中の(自分たちがいない部屋も)ランプも灯していました。



ChristerとÅsaはアール・ヌーボーが好きで、インテリアのセンスもとても素敵な夫婦です。
何か新しく購入するときは必ず2人でよく吟味するそうです。

家のあちらこちらを写真に撮らせてもらうつもりだったのに、旅の終わりに差し掛かって私のカメラの電池がもう切れそう・・・
私が旅先でこんなに写真を撮ることって今までなかったので(デジカメを旅に持って出たのも初めて)、充電器なんて不要と思ってたのが甘かったです。



このソファの青い生地はChristerが張り替えたもの。


トイレの中もこんな感じです。
鏡が壁のタイルと同面で、これいいかもと思いました。


普段はもっとシンプルだそうですが、週末にときどきこんな朝食をゆっくりとります。
パンだけで何種類もあります。
木の実の入ったものやハーブの入ったもの、それからスウェーデン特有のハードブレッドも何種類も。
それにハムやサラミにレバーペースト、チーズも数種類、バターやジャムや甘いスプレッド、きゅうりやトマトなどを好きなように組み合わせてオープンサンドを作ります。
飲み物も数種類のジュースに何杯もおかわりするコーヒーがあり、ヨーグルトまで2種類もありました。
朝ごはん重視の私としては本当に嬉しい♪

それからÅsaの実家でもご両親とお昼ご飯をご一緒させていただきました。
実家はもっとこぢんまりとした地下室付きのおうちですが、インテリアはとても家族思いの雰囲気が伝わってくるものです。
もうカメラの電池が限界で、ほとんど写真が撮れなかったのが本当に残念。


Åsaたちの料理はもちろん美味しかったのですが、お母さんの手料理はもうさすがというべき!
何という料理なのかはわかりませんが、スウェーデンの家庭料理って本当に美味しかったです。

ランチでもうお腹いっぱい食べたのに、フィーカがやってきました。
何種類ものスイーツも手作りです。
と聞けば食べずにいられません。
それぞれ本当に美味しくって、みんなも食べ過ぎちゃったようで、この日の夕飯は朝ごはんのように軽く済ませました。


子供たちは大人よりずっと英語が上手ですが、まだ社交的な年頃ではないので私に積極的に話しかけてくるようなことはありませんでした。
でも、こうやって家族で過ごす時間を大事にしてるところを見ると、この家族の中だからなのか国民性なのか、羨ましいくらい素直に育っています。

次にいつ会えるかわかりませんが、すごく温かい家族に包まれた3泊4日でした。

これでちょうど2週間(10/16〜10/30)の旅を終えて、帰りは間違いなく予定通りに帰国できました♪

2012/12/29

バルトの国とスウェーデンの旅−9(ヘルシンオア)


なんとか電車に乗れてほっとしました。
携帯はもちろんおしゃべりもダメな車両があったりして、北欧の電車は大人だなーという印象。
私が乗った車両は家族連れがお茶の時間ということでポットに入れてきたコーヒーとお菓子でフィーカを楽しんでいました。
フィーカとは「お茶する」という意味で、スウェーデンの人たちはフィーカをすごく大事にしているようです。
車掌さんが検札にまわって来て切符にスマイルマークを描いて行ったのも、車窓から見える家がカラフルで可愛らしいものになったのも、北欧だ〜と実感します。

ヘルシンボリに着きましたが、友人の仕事が終わるまで3時間もあるので、そこから海をはさんで5kmほどのデンマークのヘルシンオアへ行くことにしました。
フェリーで20分で渡れるのですが、スウェーデンの人はデンマークの方がお酒が安く買えるので、お酒を買うためにヘルシンオアへ行ったりするのです。
フェリーには免税店もあるし、地元の人は乗ったらすぐにビールとホットドッグを買います。
せっかくなので私も倣ってビールとホットドッグを買いましたが、私には20分でこれを食べて飲みきるのがけっこう必死。
しかもバルトの国と物価が全然違うのですごく贅沢をした気分なのに、もう一生懸命飲み込みました。

ヘルシンオアの街には古い建物もけっこう見られます。



通りを歩く人を意識した窓辺のさりげないデコレーションが素敵。
室内が外から見えるお宅がけっこうありました。

この街が観光スポットになってるのは、シェークスピアのハムレットの舞台となったクロンボー城があるからです。


対岸に見えるのはスウェーデン側でヘルシンボリです。

バルトの国とスウェーデンの旅−8(航路)

ヴィニリュスのゲストハウスのスタッフの一言で、ガイドブックにも載ってなかったフェリーで、リトアニア第3の都市クライペダからスウェーデンのカールスハムンという聞いたこともない街へ向かうことにしました。
今回の旅の最終目的地である友人の住むヘルシンボリはスウェーデンの南部にあるためストックホルム行きのフェリーは選択肢になく、こんなマイナー航路となりました。
イスタンブールに引き続き、ガイドブックなしで手探りの旅。
不安ながら友人にメールで聞くと、カールスハムンからヘルシンボリへは電車で3時間のようでなんとかなるかと思って行きました。

ヴィニリュスからクライペダは長距離バスで4時間ほど。
途中の休憩で今回の旅で初めてお金を払ってトイレに入りました。
実はこれまでも公共の場でのトイレは有料だったのですが、飲食店ではもちろん無料で使えるしショッピングセンターとかでは中から出てきた人が扉を開けて入れてくれたりで払う場面がなかったのです。
日本では当然無料できれいなトイレが使えるので、なんかお金払ってトイレって〜、と思ってたのですが、まあ30円ほどできれいなトイレだったのでしょうがないか。

クライペダのバスターミナルに着くとそこからは市バスでフェリー乗り場へ。
それが1時間に1本しかなく、乗っても私以外にドイツ人の女の子2人だけで、どんどん人気のないところへ行くのでその2人がいなかったら不安でしょうがないところでした。

でも、フェリーに乗るとこれがすごくいい感じ!
シーズンオフなので4人相部屋のところ2人だけで、トイレとシャワーも各部屋についてるし1人1人鍵を渡してくれる。




同室の女性は言葉が通じなかったけどニコニコした感じの人で、私のミネラルウォーターを勝手に飲んだりして奔放でした。



出航まで時間があったけど、本当に周囲に何にもないところで早々とフェリー内のセルフサービスのレストランで夕飯にしました。




このレストランがこの旅最初で最後のまずさ!
物価の高いスウェーデンと安いリトアニアの間くらいの値段がついてたので、これまでの食事に比べるとずっと高いのに、味はずっと劣る!
コーヒーでさえ飲めたものではありませんでした。

その後は、ラウンジでテレビを観てるのはおっちゃんばかりだし、デッキに出ても極寒の上暗くて何も見えないし、ベッドに横になって本を読みました。

今回の旅行でたまたま持って出た1冊が谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」。
我ながらグッチョイスでした。
谷崎が昭和の初めに日本と欧米を比較して書いた本ですが、今読んでもすごくよくわかります。
ですが、当時の日本にあった陰影は現在あるでしょうか。
ほとんどの住宅の居室では1室に1灯の天井照明が部屋の隅々まで照らして、薄暗い部分ができそうものならクレームになりかねないのでは。
この後訪ねたスウェーデンの友人宅では、間接照明やスタンドランプ、そしてキャンドルなどを多用してリラックスできる空間をつくり出していました。
今や欧米の方が陰影を礼賛していると言えます。



夜中、船がだいぶん揺れて目が覚めたりしましたが、ベッドリネンやタオルの質はなかなかだしシャワーも熱いお湯が出て本当に快適でした。
そして朝、冷たい風が吹き付ける中、夜明けの海を見てちょっと感動。
しかも定刻に到着して、さっすがーと思いました。

問題はそこから。
船を降りてもそこには何もありませんでした。
駅までは8kmあるのでバスか最悪タクシーはいるだろうと思ってたのですが、本当に何もない。
フェリーの乗客のほとんどは荷物を運ぶトラックの運ちゃんでトラックで次々と上陸していき、わずかな徒歩の乗客も家族や友人が迎えに来るようになってるようでした。
フェリー会社のオフィスは次の便まで閉まってるようだし途方に暮れそうになって、隣に立ってたお兄さんに「駅まで行く方法ない?」と一応聞いてみると、「友達が迎えに来てくれるから、駅まで乗せてってあげるよ」ということで助かりました!
その友達には「スウェーデン語しゃべれないの?」とちょっと小馬鹿にされましたが(しゃべれないくせにこんな行き当たりばったりなのかよ、というニュアンス)、スウェーデンの人はみんなきれいな英語を話すので心配いらないのです♪

ちなみにフェリーは4人相部屋で8,600円(食事別)ほどで、すごくお得でした。
貸切部屋だともっと高く、部屋なしの座席のみだともっと安いです。

2012/12/28

シックハウス?

春に勤めを辞めてから自宅でぼちぼちと仕事をするようになりましたが、自宅のリフォームが一向に進まず、とりあえずちゃぶ台にパソコンを引っ張ってきて床の上に資料を広げるような状態でやってました。

リフォームを待ってては話にならんと、仕事環境を改善すべく、でも仮設的なのでリーズナブルにいこうと、某北欧系巨大インテリアショップにて抽き出しユニットとテーブル脚パーツを購入し、手持ちのカウンター材を載せてSOHOエリアをつくりました。
この抽き出しユニットが組み立て式なんですが、すごくよくできてる。
値段が値段だけに安っぽいのはしょうがないとして、素人でも説明書のとおりにやればちゃんと箱物ができるようにしてあるのが感心でした。

ですが、その組み立ててる最中から何かしらの刺激が喉のあたりに直撃してきます。
これがいわゆるシックハウス症候群のモトとなるものなんだなと感じました。

特に新築の現場では許可された材料だけ使っていても初めの頃しばらくは何か刺激を感じますが、この家具から出てくる何かは今まで感じたことがないほど強いものでした。
席についている間は傍らにあるわけですが、長時間になると正直辛くなりました。

12月の初めにこの作業スペースをつくったのですが、日中は寒いのでそのまま我慢して、寝るときに窓を完全に開けて放出するようにして、やっと最近何も感じない程度になりました。

私のように鈍感な者でもこれなので、敏感な人や子ども、それから夏だったらもっとひどい状況だったかもしれません。
知識としては知っていたシックハウスを実感できたのはよかったかもしれませんが、今後は考えものです。

例の北欧系のお店はコスパはいいのでこれからも利用する可能性はありますが、そのときは買ってから使用するまで刺激物が消えるまでどこかで放置するなりしないとなぁと思います。

2012/12/26

ka-ji-zとyolcha

あるところでカージーさんの作品展を薦められて、予備知識なしでご近所だけど初めてのyolchaというカフェ&ギャラリーへ。
場所はうろ覚えだったのでしばらく辺りをぐるぐる、長屋が並ぶ路地の一角にありました。

yolchaの建物がなんともいえない雰囲気でかなり私のツボでしたが、加えてカージーさんの作品がめちゃめちゃ素敵!
キャンドルホルダーやオブジェなど、異国の物語が思い浮かぶような世界観にうっとりでした。
とても空き缶をリユースしてるとは思えないセンスと繊細さで、鍛冶屋さんらしいけど女の人だろうと思い込んでいたら、yolchaさんに聞くと男性とのことでした。

さんざん迷って選んだのはこれ。


帰ってからネットで検索してみましたが、カージーさんはホームページなど持っていないようで、いろんな方のブログで若干の情報を得ることができました。


後日もう一度yolchaに行くと、ちょうどカージーさんがいました。
ブログ情報で私と同じ島根県出身ということは知っていましたが、聞いてみると同じ高校の出身!
つかみどころのない人のように思ってたのが、一気に距離が縮まったようです。
3歳違いということで高校ではちょうど入れ替わりですが、同郷の人がこんなに素敵な作家さんだということはなんだかあったかい気持ちになります。

yolchaさんの隣にはyolchaオーナーのお父さんのキッチン屋さんH&H Japan Inc.があります。
こんな長屋にJapanを冠したショールームがあるとは意外性満載ですが、かっこいいキッチンと長屋が意外とマッチしてます。
私は特にオリジナルのレンジフードが気に入って、いつか使ってみたいと思っています。

バルトの国とスウェーデンの旅−7(トゥラカイ)

ヴィリニュスの街から1日離れて、近郊のトゥラカイに行ってみました。
ヴィリニュスの前にリトアニアの首都が置かれていたという、バスで1時間弱のところです。

観光地として有名らしく、ここに来て初めて日本からの団体ツアーに遭遇しました。
久々に聞く日本語、しかも関西弁。
でもシーズンオフなので辺りは閑散として、開いてるお店も限られていました。

湖に浮かぶ赤レンガの古城が、いかにも昔話に出てきそうでファンシーですが、ディテールはやはり戦のために作られた城のようです。



私はそれよりも木造の民家の方に興味が向いてしまいます。
質素な平屋、いいなあ。



この家の外壁は、元はこんなんだったって一部残してる!
ヴィニリュスの街中でも見た改修方法が個人宅でもされてたのがびっくりです。


サッシ入れ替えたんだろうけど、隙間を断熱ウレタンスプレーで済ましちゃってる。
これは他でも見かけました。


それから、日本でも古い団地などで増殖してる部屋がたまにありますが、これもかなり自由度の高い、勝手に増築系でしょうか。


2012/12/17

バルトの国とスウェーデンの旅−6(ヴィリニュス)

リトアニアの首都ヴィリニュスに到着したのはもう暗くなりかけた頃。
一応リーガで宿を予約してたので心配ありません。
いつも着いてから宿を探す場合は、新しい街にはなるべく早く行くようにしています。

それから、着いたら次に行くところを考え始めます。
ヴィニリュスの次は、バルト3国のうち残るエストニアの首都タリンを考えていましたが、なんか天気が悪くて寒そうだしバスで10時間くらいかかるという。
ちょっとタリンに対してテンション下がっていたところ、宿のスタッフの人と話していて私の最終目的地のスウェーデン行きのフェリーがリトアニアから出ているということがわかって、いっそのことエストニア行きはやめてヴィニリュスでゆっくりしてフェリーの旅をしよう、と盛り上がりました。

宿はアパート形式のゲストハウスで3部屋に共用のバスルームが2つでしたが、シーズンオフで私以外にもう1部屋しか客がいなくてそれぞれ専用バスルームでラッキーでした。
部屋は十分に暖かいし快適です。



朝食は事前にリクエスト用紙にチェックを入れたものを希望の時間に部屋の前に置いておいてくれるシステム。
これで1泊2400円ほどでした。

ヴィリニュスで特に感じたのは、ここがほんの20年ほど前はソ連の一部だったということ。
今回の旅行まで、私はバルト3国って聞いたことあるけどどこにある国か知りませんでした。
それを現地の人にいうと「小さい国だから」というけど、日本だって小さな国です。
今回ほど歴史を勉強してこなかったことを残念に思ったことはありませんでした。

ゲストハウスのオフィスでパソコンを借りてメールチェックをしたりする際、スタッフの女の子とおしゃべり。
26歳のグルメな彼女と「これを食べるならこのお店」などと女子トークもありながら、彼女にはまだソ連時代の記憶があって、幼い頃弟のミルクの配給に長い列に並んだことも聞きました。
今の街はもう当時の面影は感じられません。

KGB博物館へ行きました。


公園に面したこの立派な建物が、かつてKGB(ソ連の秘密警察)が置かれ人々が拘留され拷問された場所です。
壁にはここで命を落とした人たちの名前が刻まれていました。


内部は撮影禁止でしたが、撮影可であってもカメラを向ける気がしない当時そのままの様子が保存されていて、本当に寒気がしました。
展示内容をすべては理解できませんでしたが、恐ろしいことが行われていたことは確かです。

それから時代は違いますが、国立ユダヤ博物館でもひどい過去を目の当たりにしました。
第二次世界大戦時にナチスの犠牲になったのはドイツ、ポーランドのユダヤ人だけではなかったと、恥ずかしながらリトアニアに来て初めて知りました。

ヴィリニュスの旧市街も世界遺産に登録されています。


旧市街の中には大学もあって、何気に入ってみたりできます。
とっても素敵な古書室は、職場として最高な環境でスタッフの方がうらやましい。



学食でちゃっかりお手頃ランチもいただきました。
スープとパンケーキで270円ほどで、おいしくてお値打ちです!


この街でも日本食は人気のようです。
が、中華と一緒になっちゃってるみたい。



それからお寿司のデリバリーもあったりしてびっくりしました。


日本ではリトアニア料理のお店ってないですよね。
でも、かなり口に合います!美味しいです!
誰かお店つくってくれないかな〜。

いくつもの教会に行ってみましたが、特に気に入って2回も行ったのが『夜明けの門』。


旧市街の入り口上部に聖母のイコンがあり、信者が絶えません。


聖母が奇蹟を起こすとして、人々が治癒や幸福を願って捧げた銀細工が壁一面に並んでいます。



手足や指、目などモチーフが直截的で、意味を知らなかった初めはちょっと不気味に感じましたが、それが身体を治したい一身で捧げたものだとわかるとその信仰心に圧倒されました。
門の上から旧市街を見返した眺めもいいです。


私が感じるだけかもしれませんが、リーガもヴィリニュスも「東側」を感じさせる街でした。
旧市街はもちろん歴史を感じさせる美しい町並みなのですが、その旧市街を含む街全体にどこか暗さがあるような気がします。
壁が崩壊して10年後くらいのベルリンに行ったことがありますが、その旧東ベルリン地区で感じたのと近い。
パリのような瀟洒なヨーロッパ都市というのでなくて、どこか荒んだ感じというか。
西側ではすでに高額なたばこも、こちらではリーズナブルで路上喫煙も日本以上に多いと思います。
まだ、ソ連時代の統制からやっと自由になれた解放感を残しているのでしょうか。




ヴィリニュスの中で独立を宣言しているというユニークなウジュピスという地区があり、独特の雰囲気がおもしろいです。



それからおもしろいと思ったのが、建物の修復方法です。
かなり古い建物も外壁はたいていきれいに塗られていますが、オリジナルの外壁を一部残しているものがあちこちで見られました。



最後にめっちゃおいしかったケーキ屋さん。


すごく雰囲気のいいお店なんだけど、プラスチックのトレイでセルフサービスというギャップがまあ嫌いじゃないかな。
これで約330円。