駅長室もあるこの駅舎の前にバスが停まります。
BRTは一部線路跡を整備した専用路も通りながら行きます。
バスなのに踏切やホームがあったりして妙な気分。
気仙沼では、去年仮設の居酒屋で飲んでいるときに知り合った地元の消防士・Sくんと連絡をとって、非番のときに図々しく案内してもらうことになりました。
去年はお互い酔っぱらってたということもありますが、馬鹿話ばかりで震災のことはほとんど話題に上りませんでした。
私も被災された方が自分から話し始めるまではこちらから聞かないようにと考えていたせいもあるでしょうが、職業柄とてつもない経験をしたはずのSくんが1年経過した時点で私たちのような一過性の旅人に話せるようなことではなかったかもしれません。
それが、今回はかなりいろんなことを聞かせてくれました。
Sくんは震災当時南三陸の消防署にいて、その建物はまさにその朝私たちが乗ったBRTの駅が建っていた場所だったということ。
9人の仲間が犠牲になって、初めのうちは本当に悲しかったのがだんだん感情が麻痺していくのが悔しかったこと。
Sくんの実家も実家が営むお店も津波に流されて、お店は今仮設店舗で営業し自宅跡はこれまたBRTの駅が建ち、現在は仮設住宅暮らしということ。
これを残すかどうか地元でも議論があるのですが、Sくんの言った現実問題「震災のときからずっとそのままだから、動かすともしかしたら誰か船の下から出てくるかもしれない」など、想像も及ばなかった私はやっぱり傍観者に過ぎないのかとぞっとしました。
それから、陸前高田へ連れて行ってもらいました。
私には初岩手ですが、気仙沼からは車で30分もかからず去年行かなかったのが残念だったところです。
気仙沼は市内に高低差があり津波で流されなかった部分も残っていましたが、陸前高田は平地が広がっていて見渡す限りの空地が被害の莫大さを見せつけていました。
根元から折れた照明灯と向こうには新たに造られた土手らしきものが見えます。
工事車両以外立ち入り禁止で近寄れなかったけれど、その奥の方に『奇跡の1本松』が見えました。
この土手を前にすると、こちら側から海は見えません。
今後津波被害を防ぐために防潮堤を築くところが多くあると思いますが、その高さをどうするか難しい問題と思います。
私は海がまったく見えなくなるような防潮堤はダメなんじゃないかと思うんですが、答えは簡単には出ないでしょう。
私が大阪に戻ってから数日後、ちょうど母校で建築家の内藤廣氏の講演会がありました。
内藤氏は震災後いろんなところに参加し、陸前高田でも防潮堤の高さを決める場にいらっしゃって12.5mと決められたそうです。
そして、東北大学の名誉教授が「津波は個々のことだから防ぎようがないのだ」とおっしゃったという話もされました。
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