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2013/04/21

東北の旅−2(南三陸)

去年は気になりつつも横目で通過した南三陸ホテル観洋に泊まります。


部屋に入るとすぐにカモメが餌をおねだりにやってきました。


部屋からすぐ外はもう海なのです。
次の日の朝の日の出を露天風呂に入りながら見るために、この日は早めに布団に入りました。



この海があの日この町を襲ったのかと思うと信じられない思いです。

お風呂の後朝食まで時間があったのでホテルの周りを散歩しました。
歩いているとすれ違う地元の人が、自転車に乗っていても徒歩でも「おはようございます」と挨拶をしてくれます。
子どもならまだしも大人がこうやって見知らぬ人に挨拶をするのを登山のとき以外これまで知らなかったので、1人興奮気味。
素敵な土地柄です。



いまだ復旧の目処がたっていない鉄道は線路が撤去されて整備だけされていました。

朝食後、ホテルが主催する語り部ツアーバスに参加しました。
ホテルの従業員が語り部となって、被災した南三陸の町を案内してくれるのです。
ホテル観洋はかなり大きなホテルで宿泊客も多かったですが、平日にもかかわらずこの日も観光バスが2台満席になるほどの参加者でした。



去年は瓦礫が片付けられて基礎だけが残された風景が続いていたのが、今回はその基礎も撤去されて何も無い空き地が広がっていて、さらにカメラを向けるのがためらわれるような光景でした。

前の日に乗ったタクシーの運転手さんも家を流されたそうですが、元の土地に家を建てることは制限され高台に建てるにしてもまだ計画が決まらず、どうしたらいいのか前に進もうにも進めない状況だとのことでした。





南三陸で有名なエピソードが、防災庁舎で最後まで住民に避難を呼びかけて犠牲になった女性の話です。
語り部さんによると、防災庁舎には自動音声による避難放送システムがあったのですが、そのシステムに切り替えるまでに30秒ほどの空白時間が発生するため、その時間を惜しんで肉声でずっと呼びかけ続けたそうなのです。



この建物の屋上まで津波が押し寄せたなんて信じられるでしょうか。
数日後の新聞記事で、この辺りの地名が「塩入」ということを知りました。
かつて何度も津波の被害にあったという証です。
昔の人はこうやってちゃんと警鐘を鳴らしてくれていたのに、こんな場所に防災拠点を建てること自体がナンセンスだったんですね。

そういえば私が住む場所も「中津」。
水に由来した地名なので、もしものときの危険度は高いかもしれません。

南三陸ホテル観洋は後で地元の人に聞いたところ、あるホテルランキングでサービスが全国2位だったとのこと。
まさしくそのとおりで、地方のホテルだからとそんなに期待してなかった私はいい意味で期待を裏切られました。
海を望む景色も素晴らしかったのですが、それにまして素晴らしかったのがスタッフの方々でした。
ちょうど新入社員の研修時期でぎこちない対応もありましたが、一生懸命で誠実な態度は申し分なかったし、こんなに大規模なホテルでありながらそれぞれの客に個別に接するプロ意識にちょっとびっくりしました。

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