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2013/04/23

東北の旅−4(気仙沼・大島)

フェリーで約25分で大島に着きます。
そのフェリー内で同行のEちゃんの知人、大島のヤマヨ水産の小松さんとちょうど一緒になりました。
震災の被害に遭いながらも精力的に再開を目指している方で、私の中の漁業をされている方のイメージとは違っておしゃれでスマート、賢そう。

船着き場にはその夜の宿『海鳳』の方がお迎えに来てくれていました。
小松さん曰く「完食できたらすごい!」という夕食は私の胃袋をもってしてもムリでした。


写真のフタがしてあるのは、釜飯、鍋、アラ煮、蕎麦です。
美味しかったのでかなりがんばったけど、釜飯と蕎麦とフルーツには箸をつけられず、釜飯はおにぎりにしてもらって次の日のお昼ごはんになりました。
上品な味付けでほんまに美味しかった!

この民宿も震災後はなんとか食料を確保しながらボランティア達の活動拠点となったりしたそうです。
船で本土と行き来するしかない大島は当時文字どおり孤島となって、かつ山に火がついてとても深刻な状況だったと聞きます。
小松さんたち島の人は山火事を最小限に食い止めようと初めの数日はずっと動かれていたようです。

翌朝小松さんの奥さんが迎えに来てくれて、津波にやられてしまった自宅再建の場所に連れて行ってもらいました。



家を建てる場所の木を切って、なんとそれを自分たちの力で製材します。




移動製板というらしいですが、製材機械と製板さんという専門の職人さんが現場に来て、その場で製材するというシステムです。
大島には製材屋さんがなく、切った木を本土に一度運んで製材したものをまた運んでくるという無駄が生じるため、この合理的なやり方をしているのです。
それにしても建築主自らが、しかも小松さんのご両親はじめ平均年齢高っ。
でもみなさん年齢を感じさせない動きでした。

中でも小松さんのお父さんはめっちゃかっこよくてしびれました。
初大島の私たちのために、船を出してヤマヨ水産の牡蠣筏を見せてくれます。







お父さんはスキンヘッドにサングラスで、お嫁さんから『海の暴走族』と言われてましたが、牡蠣の養殖に関してはこだわりを持っておられます。
まだまだこれからの復興のためにオーナー制度があります。


製板作業の休憩タイム。
製板さん、棟梁、小松さんのご両親、同じ場所に再建するもう一家族のだんなさんとそのご両親、そして手伝いに参加するEちゃん。

小松さんの奥さんに島の各所を案内してもらってから、お昼時に牡蠣をいただきました!




めっちゃ大きな身に濃厚な味で、私も牡蠣オーナーになることを即断。
値打ちあります〜!



作業小屋で職人さんたちも一緒に食べたお昼ごはん、最高でした。

Eちゃんはそのまま残って数日間製板作業のお手伝いですが、私はこれで帰宅の途に就きます。
もっといたかったなぁ。

小松さんファミリーはこういった作業を今も仮設住宅から通いながらされています。
ともすれば私たちにとって仮設での暮らしはテレビや新聞記事の向こう側のことになってしまいそうになりますが、何のお手伝いもできなかったにせよ現地を訪ねることで『顔の見える』関係が生まれたことは、私にとって大事なこととなりました。

最後に気仙沼の街を歩いたときに、海の町以上の潮のにおいがしたような気がしました。
生臭いものではなかったですが、海が街を満たした名残りなのかなと思います。

2013/04/22

東北の旅−3(気仙沼と陸前高田)

去年はなかったBRT(鉄道代替バス)で南三陸から気仙沼へ向かいます。


駅長室もあるこの駅舎の前にバスが停まります。
BRTは一部線路跡を整備した専用路も通りながら行きます。
バスなのに踏切やホームがあったりして妙な気分。

気仙沼では、去年仮設の居酒屋で飲んでいるときに知り合った地元の消防士・Sくんと連絡をとって、非番のときに図々しく案内してもらうことになりました。

去年はお互い酔っぱらってたということもありますが、馬鹿話ばかりで震災のことはほとんど話題に上りませんでした。
私も被災された方が自分から話し始めるまではこちらから聞かないようにと考えていたせいもあるでしょうが、職業柄とてつもない経験をしたはずのSくんが1年経過した時点で私たちのような一過性の旅人に話せるようなことではなかったかもしれません。

それが、今回はかなりいろんなことを聞かせてくれました。
Sくんは震災当時南三陸の消防署にいて、その建物はまさにその朝私たちが乗ったBRTの駅が建っていた場所だったということ。
9人の仲間が犠牲になって、初めのうちは本当に悲しかったのがだんだん感情が麻痺していくのが悔しかったこと。
Sくんの実家も実家が営むお店も津波に流されて、お店は今仮設店舗で営業し自宅跡はこれまたBRTの駅が建ち、現在は仮設住宅暮らしということ。



気仙沼でよくメディアに登場していたのが打ち上げられた大きな船ですが、 かなりの内陸に今もそのままです。(写真は去年のものですが、今回も同様でした)



これを残すかどうか地元でも議論があるのですが、Sくんの言った現実問題「震災のときからずっとそのままだから、動かすともしかしたら誰か船の下から出てくるかもしれない」など、想像も及ばなかった私はやっぱり傍観者に過ぎないのかとぞっとしました。

それから、陸前高田へ連れて行ってもらいました。
私には初岩手ですが、気仙沼からは車で30分もかからず去年行かなかったのが残念だったところです。


気仙沼は市内に高低差があり津波で流されなかった部分も残っていましたが、陸前高田は平地が広がっていて見渡す限りの空地が被害の莫大さを見せつけていました。



根元から折れた照明灯と向こうには新たに造られた土手らしきものが見えます。
工事車両以外立ち入り禁止で近寄れなかったけれど、その奥の方に『奇跡の1本松』が見えました。

この土手を前にすると、こちら側から海は見えません。
今後津波被害を防ぐために防潮堤を築くところが多くあると思いますが、その高さをどうするか難しい問題と思います。
私は海がまったく見えなくなるような防潮堤はダメなんじゃないかと思うんですが、答えは簡単には出ないでしょう。

私が大阪に戻ってから数日後、ちょうど母校で建築家の内藤廣氏の講演会がありました。
内藤氏は震災後いろんなところに参加し、陸前高田でも防潮堤の高さを決める場にいらっしゃって12.5mと決められたそうです。
そして、東北大学の名誉教授が「津波は個々のことだから防ぎようがないのだ」とおっしゃったという話もされました。


 陸前高田は海岸沿いの松林が見事だったと聞きますが、残ったのは『奇跡の1本松』1本だけで、流されたうちの1本が道の駅の建物内部に突き刺さっていました。

















2013/04/21

東北の旅−2(南三陸)

去年は気になりつつも横目で通過した南三陸ホテル観洋に泊まります。


部屋に入るとすぐにカモメが餌をおねだりにやってきました。


部屋からすぐ外はもう海なのです。
次の日の朝の日の出を露天風呂に入りながら見るために、この日は早めに布団に入りました。



この海があの日この町を襲ったのかと思うと信じられない思いです。

お風呂の後朝食まで時間があったのでホテルの周りを散歩しました。
歩いているとすれ違う地元の人が、自転車に乗っていても徒歩でも「おはようございます」と挨拶をしてくれます。
子どもならまだしも大人がこうやって見知らぬ人に挨拶をするのを登山のとき以外これまで知らなかったので、1人興奮気味。
素敵な土地柄です。



いまだ復旧の目処がたっていない鉄道は線路が撤去されて整備だけされていました。

朝食後、ホテルが主催する語り部ツアーバスに参加しました。
ホテルの従業員が語り部となって、被災した南三陸の町を案内してくれるのです。
ホテル観洋はかなり大きなホテルで宿泊客も多かったですが、平日にもかかわらずこの日も観光バスが2台満席になるほどの参加者でした。



去年は瓦礫が片付けられて基礎だけが残された風景が続いていたのが、今回はその基礎も撤去されて何も無い空き地が広がっていて、さらにカメラを向けるのがためらわれるような光景でした。

前の日に乗ったタクシーの運転手さんも家を流されたそうですが、元の土地に家を建てることは制限され高台に建てるにしてもまだ計画が決まらず、どうしたらいいのか前に進もうにも進めない状況だとのことでした。





南三陸で有名なエピソードが、防災庁舎で最後まで住民に避難を呼びかけて犠牲になった女性の話です。
語り部さんによると、防災庁舎には自動音声による避難放送システムがあったのですが、そのシステムに切り替えるまでに30秒ほどの空白時間が発生するため、その時間を惜しんで肉声でずっと呼びかけ続けたそうなのです。



この建物の屋上まで津波が押し寄せたなんて信じられるでしょうか。
数日後の新聞記事で、この辺りの地名が「塩入」ということを知りました。
かつて何度も津波の被害にあったという証です。
昔の人はこうやってちゃんと警鐘を鳴らしてくれていたのに、こんな場所に防災拠点を建てること自体がナンセンスだったんですね。

そういえば私が住む場所も「中津」。
水に由来した地名なので、もしものときの危険度は高いかもしれません。

南三陸ホテル観洋は後で地元の人に聞いたところ、あるホテルランキングでサービスが全国2位だったとのこと。
まさしくそのとおりで、地方のホテルだからとそんなに期待してなかった私はいい意味で期待を裏切られました。
海を望む景色も素晴らしかったのですが、それにまして素晴らしかったのがスタッフの方々でした。
ちょうど新入社員の研修時期でぎこちない対応もありましたが、一生懸命で誠実な態度は申し分なかったし、こんなに大規模なホテルでありながらそれぞれの客に個別に接するプロ意識にちょっとびっくりしました。

2013/04/19

東北の旅−1(福島)

ちょうど1年ぶりに3泊4日で東北へ行きました。
この4月からLCCのpeachが仙台へ就航して、今回飛行機代は往復8,000円ほどということで、距離的にも気持ち的にも遠かった東北がお財布的には近くなりました♪

去年は宮城県内を旅しましたが、今回はまず福島の友人を訪ねて行きました。
そして連れて行ってもらったのが、その名も花見山!
今年関西では桜が例年より早く咲き、しかも週末は雨が降ったりして満足なお花見ができず欲求不満状態でした。
それが、福島でちょうど桜前線に追いついて満開のお花見ができました。


個人の所有だそうですが、山全体が桜をはじめとする花木に覆われていてまるで桃源郷、大勢の花見客は天国に召されるかのように山道を登っていきます。


桜の種類もソメイヨシノだけではないので、ピンク色のグラデーションが見事です。


この日は好天に恵まれた日曜日でほんとうに大勢の人出でしたが、友人に聞くと震災後初めてのことだそうです。
2年前の震災の年にはもちろん去年もまだ自粛ムードで、今年やっとお花見をする気分になって待ちかねていた人たちが繰り出しているとのこと。


あちこちにボランティアのガイドさんが立っておられて、いろんな説明をしてくれたり、カメラのシャッターを頼むとベストショットを撮るべくいろんな角度から狙ってくれたりもして、ほんとうにサービス精神旺盛です。
東北の人はシャイなイメージを持っていたのですが、意外とオープンでしたね。

福島はフルーツ王国ということもあるのかもしれませんが、町中でも花木をよく目にして美しい場所だという印象です。
それなのに、原発のため人が住めなくなっている土地があちこちにあるという現実がさらに哀しく思えます。
人の手に負えない人工物は自然と共存できないししてはいけないのでは。

2013/04/11

『スラムドッグ$ミリオネア』

2008年/イギリス・アメリカ
監督:ダニー・ボイル

さすがアカデミー賞受賞作品、純粋におもしろかったです。

インド・ムンバイのスラムで育ち、コールセンターのお茶汲みをしている主人公ジャマールがテレビのクイズショウで次々と問題に正解していき賞金を勝ち取るのですが、それぞれの質問の答えを無学なジャマールがなぜ知っているか、彼の生い立ちを回想しながら謎がわかるという筋立てです。

スラムの子供たちの状況はほんとうに悲惨。
でも、意外と子供たちはたくましく明るく生きています。
私はインドに2回行ったことがありますが、ぼろぼろの格好をしたほんの子供が赤ちゃんをだっこしながら悲しそうな顔をしてお金をせがんでくることがよくあります。
私はそこでお金をあげたものか考えてしまうのですが、私から離れるとその子供は笑いながら元気に走って行くのです。
映画では大人たちがスラムの孤児たちを集めてそうやって「仕事」させていました。

そんな中でジャマールはひねくれもせず、初恋の女の子をずっと追い続けながら、最後にはクイズに勝ち彼女とも再会できたのでした。

現実にはここまで痛快な人生はなかなか難しいでしょうが、だから映画。

最近のインドは女性に対する犯罪が多発していて哀しくなります。
インド人のしたたかさや子供でも何カ国語でも話せてしまうような生きる力が魅力的な国なのに、貧富の差や差別は全然なくならないみたいですね。