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2022/08/04

越後妻有 大地の芸術祭 2022 0日目

 新潟の越後妻有地域で2000年から3年に一度開催されている大地の芸術祭
以前から行ってみたいと思ってはいたけれど、新潟って遠いよなぁ、と足踏みしていました。

それとは別に、上の子が小学校の高学年になったら下の子も連れて夏休みに入ったら長期でどこかの国へ出かけたいという野望を抱いていたところコロナ禍でなかなか叶わず、そうこうしているうちに上の子が今年もう5年生。
そのうち一緒に行ってくれなくなるかもしれない、という焦りもあり、今年は新潟行きで手を打とう!と3人で行くことにしました。

まずは泊まるところ探し。
この芸術祭に参加している三省ハウスが、男女別相部屋2段ベッドだけど2食付きで予算的にもいい感じで2泊分予約。
本当はもう1泊したかったけど、週末で空きがなかったのでキャンセル待ちにしておきました。

そして往復はどうしようかと考えると、現地での移動に車は不可欠なので、電車で行ってレンタカーが無難なんだけど、そうなると片道だけで半日以上かかってしまうし、交通費もけっこう高い。
それなら家から車で行ってしまおう、と決断。
芸術祭のHPでは大阪から車で6時間(車のナビで見ると実際は7時間〜7時間30分)で、わたし1人で運転というのがすごくしんどいし不安。
でも通しで新潟まで運転したらそれこそ大変だけど、半分進んで車中泊して残り半分進むことにしたらまだラクだろうし時間も無駄なく丸3日現地にいられる♪と思い、初の子連れ車中泊に挑戦することに決めました。
それで用意したグッズは、停車中エンジンかけっぱなしにできないからエアコン止めても大丈夫なようにコードレス扇風機、そして外から覗かれないように遮光カーテン。
あとは常に睡眠不足で眠たいわたしが運転中眠くならないように1週間前くらいからなるべく多めに寝とくように備えて、って何の準備だか・・・

コロナ禍もおさまる気配がなくこの旅行もいつ中止になるやもしれないので、こどもたちには直前に発表、出発当日もそれぞれ習い事や保育園、仕事に行ってから夕食・お風呂を済ませて、21:40頃にやっと発車できました。
そして、2時間もしないうちに眠くなってくる始末・・・
まだ半分にはほど遠い進み具合だけど、無理は禁物、と車の後部座席をフルフラット仕様にしようとして、事前に練習したときにはうまくできてたのがなぜかできない!
仕方なく、デコボコの状態で車中泊することになりました。
下の子なんかは小さいのでデコボコのボコに身体が収まってすぐに気持ち良く眠ったようでしたが、残念ながらわたしは扇風機も安定が悪くいろいろ気にしながらあまりよく眠れず。
そんなこんなで朝を迎え、持ってきた『アナと雪の女王』のDVDをかけて眠気覚ましに熱唱しようかと思いきや、ケースだけで中身がなくてがっかり!
中身の確認は大事ですネ。
休憩をしっかり取りつつ、最初の目的地に到着したのはもうお昼になってました。

2022/03/15

コロナワクチン3回目

 1・2回目ともファイザーを接種したので3回目も、と思っていたのだけど、新聞記事でファイザーとモデルナをミックスした方が有意に抗体値が高いというデータがあるとのことだったので、3回目はモデルナを接種することにしました。
これには「モデルナが余ってるからモデルナに誘導するためちゃう?」という知人もいて、それも否めないなぁと思いつつ・・・
周りもミックスした人がけっこういそうでした。

接種当日:
初めて集団接種会場へ行き、流れ作業っぷりに圧倒されました。
次から次へと呼ばれて移動。
誘導スタッフの充実ぶりに「税金が湯水のように使われてる」と思ってしまいましたが、コロナ禍で仕事がなくなった人の助けになっていればと願うばかりです。
最後の問診のところで、これも何かの記事で知った『ワクチンの使用期限が延長されている件』を確認すると、見せてもらったわたしに接種するワクチンの容器に表示された使用期限は2022年1月25日で1か月半前の日付です。
使用期限から3か月は大丈夫とのことですが一応記録しとこうと、許可を得て容器の写真を撮ると「インスタには上げないで」と釘をさされました。
使用期限延長のことを隠しておくわけではなく、接種会場内での撮影がNGだそうです。
それで「チクッとしますよ〜」と言われてチクッも何も、触れた感触もなかったのでちょっと心配になってあとで戻って聞いてみると、3回目はそういう人が多いらしいです。
それと、注射を打ってくれた看護師さんが上手な人だった説も。
夜になって、ちょっと接種箇所の肩が上げにくくなって、副反応があるということはちゃんと接種できてるんだと確信が持てました。
一応お酒は自粛。

2日目:
朝起きると37.0℃で、肩は痛み上げづらい状態になりました。
この日熱はMAXで37.6℃だったので、解熱剤飲むほどではないし、ちょっとしんどいけど寝込むほどでもないので、いつもよりはスローにやり過ごしました。
熱っぽいから、もう1日お酒は自粛。

3日目:
起きたときの熱は36.8℃で、ほぼ平常どおり。
肩の痛みはまだ残ってるけど、消えるのも時間の問題です。
お酒は解禁!

2022/03/10

おこづかい

 お金の使い方を覚えてほしいと、こどもに小学1年生から年齢×100円のおこづかいを渡しています。
あげる条件は、前の月のおこづかい帳をちゃんと書いて残高と残金が合ってること。
そうやって早4年になりますが、いまだ計画的・有意義な使い方を見たことがありません笑。
父親同様あればあるだけ使っちゃうタイプのようで、このまま続けていいものか、考えなくもないのですが・・・

先日、お手伝いをする度におこづかいをもらう友だちの話を聞いて羨ましく思ったようで、自分のおこづかいもそうしたいと言ってきました。
それなら、と「お手伝いしないとおこづかいはゼロだよ。でも、例えばごはんの片付け1回30円で1か月30日として毎日やったら今と同じ900円(現在9歳)、朝も夜もやったら倍の1800円になるよ!ほかのこともやったらもっと増えるよ〜」と話しました。
だけど「毎日やるの無理、今までどおりでいいわ」とのこと。
え〜っ、欲しいものいっぱいあるくせに、アイデアと努力でなんとかゲットしようと思わないのか!?

世の中には、たしか小学生の頃にそれ以降にもらう予定のおこづかいの総額を計算してまとめてくれるよう親に談判して、もらったお金を投資運用したという強者もいるそうなのに(その人は後に投資会社を興したそうですが)。
うちの子は起業家とかには向いてなさそうですねぇ。

2022/03/09

ロシアのウクライナ侵攻

 ロシアがウクライナに侵攻して1週間あまり。
わたしには「戦争」という相互の攻撃というより、一方的な暴力の「侵攻」という表現が合うように思います。
ニュースでは毎日その様子が伝えられ、胸が痛むばかりです。
これまでも各地の紛争やテロなど映像で見ることはあっても、一般の人が普通に暮らす街を一方的に次々に破壊する様子はあまりなかったので、衝撃を受けています。

少しでもウクライナの人たちの助けになればと、在日ウクライナ大使館や国連UNHCR協会に少しずつ寄付しました。
ただ、この寄付がウクライナの人たちに武器を提供することにならないか、そう考えると躊躇しますが、人道的な用途に使って欲しいと願っています。

そんな中で、うまく言えないのだけれど、そのうちこの気持ちも忘れていきそうなのでここになんとか書いてみようと思うのが、もやもやした気持ち。
今回こうやって寄付したりすぐに行動したわたし自身は、これまでアフガニスタンの人たちのことも気になりながら何もしてこなかった。
ウクライナの件では衝撃を受けながら、中東などの地域で紛争や破壊があってもある意味不思議はないような捉え方で、慣れというか感覚が麻痺してるかのよう。
日本でも世界でも、メディアも人々も同様じゃないか。
先日、報道番組であるコメンテーターがそれを言い当てていて腑に落ちた気がするのは、『白人が攻撃されているから』。
そうなんだよなぁ。

わたしはウクライナには行ったことがないけれど、同じく旧ソ連から独立したバルト3国のラトヴィアとリトアニアには行ったことがあります。
約10年前に行ったときに話した現地の20代の女性は、旧ソ連時代の小さかった頃のことを覚えていると言いました。
ウクライナにも彼女のような人がいると想像するだけでとても心配になります。
簡単には行けないけれど、例えばアフガニスタンに1人でも思い浮かべられる顔があれば、その人のことを思い、何かしたいと思うはずです。
そういう人を世界中に持てば、争いは減っていくのでは。
ロシアにもウクライナのために行動している人がたくさんいるのはそういうことなんでしょう。

2022/02/23

『八本脚の蝶』

 二階堂奥歯という類稀な女性の日記(ブログ)を書籍化したもので、ブログは今でもネット上で読めます。
なので、ネットでいつでも読める、とわたしは安心してこの本を完読できないまま図書館に返却しました。
でも、ネットでブログを読もうとする場合は要注意。本では日付順に読み進める日記が、ブログでは逆に日付を遡って読むことになります。ブログは自死した彼女が身を投げる直前に投稿した文章から始まってしまいます。
二階堂奥歯という名前は本人お気に入りのペンネーム、「奥歯」というセンスがなんとも素敵で惹かれます。

ファッションとコスメ、そして書物をこよなく愛した編集者で、並外れた知識と記憶力で、日記に出てくる固有名詞や引用が膨大すぎて、流して読めればいいのだけれどいちいち引っかかって検索しながら読もうとして早々に挫折してしまいました。
なので彼女がどうして精神を病んでいったのかまだわからないのですが、早くに人生を終わらせてしまったのが本当に惜しまれます。
今でもまだ編集者としていたなら、多くの作家たちに愛されてどんな本をつくったのだろうと思います。
そしてわたしとはほぼ同世代の彼女を、存命の当時は知らなかったのですが、そのブログをリアルタイムで読んでいたら・・・と想像してしまうのです。