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2022/03/09

ロシアのウクライナ侵攻

 ロシアがウクライナに侵攻して1週間あまり。
わたしには「戦争」という相互の攻撃というより、一方的な暴力の「侵攻」という表現が合うように思います。
ニュースでは毎日その様子が伝えられ、胸が痛むばかりです。
これまでも各地の紛争やテロなど映像で見ることはあっても、一般の人が普通に暮らす街を一方的に次々に破壊する様子はあまりなかったので、衝撃を受けています。

少しでもウクライナの人たちの助けになればと、在日ウクライナ大使館や国連UNHCR協会に少しずつ寄付しました。
ただ、この寄付がウクライナの人たちに武器を提供することにならないか、そう考えると躊躇しますが、人道的な用途に使って欲しいと願っています。

そんな中で、うまく言えないのだけれど、そのうちこの気持ちも忘れていきそうなのでここになんとか書いてみようと思うのが、もやもやした気持ち。
今回こうやって寄付したりすぐに行動したわたし自身は、これまでアフガニスタンの人たちのことも気になりながら何もしてこなかった。
ウクライナの件では衝撃を受けながら、中東などの地域で紛争や破壊があってもある意味不思議はないような捉え方で、慣れというか感覚が麻痺してるかのよう。
日本でも世界でも、メディアも人々も同様じゃないか。
先日、報道番組であるコメンテーターがそれを言い当てていて腑に落ちた気がするのは、『白人が攻撃されているから』。
そうなんだよなぁ。

わたしはウクライナには行ったことがないけれど、同じく旧ソ連から独立したバルト3国のラトヴィアとリトアニアには行ったことがあります。
約10年前に行ったときに話した現地の20代の女性は、旧ソ連時代の小さかった頃のことを覚えていると言いました。
ウクライナにも彼女のような人がいると想像するだけでとても心配になります。
簡単には行けないけれど、例えばアフガニスタンに1人でも思い浮かべられる顔があれば、その人のことを思い、何かしたいと思うはずです。
そういう人を世界中に持てば、争いは減っていくのでは。
ロシアにもウクライナのために行動している人がたくさんいるのはそういうことなんでしょう。

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