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2020/06/27

夏至で父の日

先週末の日曜日は夏至で父の日で、わたしの父の5回目の命日でした。
奇しくも、5年前父が亡くなった日も夏至で父の日でした。

1周忌と3回忌は法要があったので実家に帰ったのですが、それ以外は去年もただ過ぎただけだったのが、今年は母が全然動けなくなってしまったので帰省してきました。
母もお墓参りもできないのは不本意だと思うので、お花を活けるだけでも慰められるかなぁと、今まで全て母任せで活けたことがなかったお花を買ってきましたが、全然ボリュームが足りなくて貧弱な供花となってしまいました。
これまで見てたつもりでも全然ダメですね。

母の弱り方が急すぎて、いろいろと聞いておかなければならないこと、手遅れにならないようにしなくちゃと思ってるんだけど、親子ってぶつかったりもするし、なかなか難しいなぁ。

2020/06/09

徳島県立近代美術館 『それぞれのながめ』展

今年に入って初めての家族揃っての遠方へのお出かけで徳島へ。
新型コロナウィルスによる緊急事態宣言解除で、久しぶりの遠出が嬉しい!
そんな気持ちに呼応するかのような快晴の日曜日でした。


それぞれのながめ ―河合美和、児玉靖枝、増田妃早子、渡辺智子
長年にわたってグループ展を続けている女性の作家さん4人による展覧会。
そのうち渡辺智子さんとはかれこれ30年近くお付き合いさせていただいています。

いつもはこぢんまりとしたギャラリーでの展示で、行くと作家さん在廊の場合はいろいろとお喋りしながら楽しく拝見するんですが、今回は美術館の大きなスペースでしんとした中作品と正面から向き合って、という体験になりました。
やっぱり天井が高いのとかなり引いて観られるのは美術館ならでは。
近くから観るのと全然違って見えることがあります。

智子さんの作品はとくに実際に観ないことにはわからないことがあります。
印刷や画面などメディアでは見えないオブリガード(対旋律)のような半透明の描線が、作品に近寄ると地と図が反転するかのように見えてくるのです。

とてもやさしくて繊細、そしてどこか哀しげでもあるような作品に、美術館の用意した観賞シートの「絵画は、時の流れの中で、日常の幸せな時間を永遠のものとして遺し得た。絵描きは、永遠には続かない私たちのいのちの時間に、ときに魔法をかけることができる。」という言葉がすごくしっくりきたのでした。

同時に観た所蔵作品展も良かったですよ。



2020/06/05

stay home その後

(備忘録続き)

6月に入ってこどもたちに日常が戻りつつある。
学校は半日授業で「簡易」ながらも給食が始まり、保育園も毎日通えるようになった。
わたしは相変わらず週1度事務所に出る以外は在宅ワークで大人とまともな会話をする時間はほとんどないんだけど、ストレスは圧倒的に減った。

ということは、あのストレスは友人や仕事、世間とつながれないから起こるものではなく、こどもたちとずっと一緒にいることで宿題や遊びなどこどもの相手をしなければならならずこどもの動きに振り回される、昼食作り・掃除・買い出し(思ってもみなかったけど、家での食事が増えて食材がどんどん減っていく)などの家事が増える、仕事が全然できない、など全てが自分の思いどおりにならないのと1人になる時間がほとんどないことから起きたんじゃないかという気がする。
もちろん、新型コロナウィルス というまだよくわからないものに世界中が翻弄されているという不安や今後どうなるんだろうという心配もストレスの原因になってると思うけど、わたしの場合ストレスの正体は案外すごく単純なものだったかもしれない。

家からほとんど出ない生活を続けていると、普段は気が向いたときにしか開かないSNSのページをこまめにチェックしてしまってた。
さらに、こどもたちに振り回されてイライラが募ると、いつもはSNSへのわたし自身の投稿にほとんどこどもを出してなかったのに、こどものおもしろ発言や可愛いショットを投稿して友人知人たちのリアクション(たいてい笑ってくれたりポジティブな反応)を慰めにすることが少なくなく、なんとかバランス取ろうとしてるのが我ながらわかりやすい。

マスク嫌いのわたしでも今では外出時には必ずつけていて、たまにマスクしてない人を見かけると違和感を感じてしまうくらい習慣になるとは。
人の表情が見えないし、これから暑くなる中しんどいなぁと思う。
新型コロナウィルスと共存した働き方や学校教育などの変化は当然として、なんの気兼ねもなしにみんなと集まって食事を囲み、大笑いしてた日々は戻るのだろうか。