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2020/01/28

1995年1月17日

あれからもう四半世紀経つといわれても、信じがたいようななんの区切りにもならないような・・・
実際に震災を経験していないわたしには何も言うことはできないけれど、久しぶりに当時のことを思い出しました。

わたしはその前の年の夏から1年間の予定でアメリカのオレゴン州で暮らしていました。
その日のいつだったか時間は覚えていませんが、近くの日本人の友人からの電話で、日本で大きな地震があったと知ってすぐにテレビをつけたのです。
ニュースではNHKの映像を流しながらキャスターが英語で喋っていましたが、ニュースを聞き取れるほどの英語力はなかったわたしは、画面左下に出ている『BILINGUAL』のマークを見てどうやったら日本語放送に変えられるんだろうとテレビ周りをいろいろ探してみて、はたとこれは日本のNHKを見ている人向けの画面だと気づき、英語の報道を必死になって聴いた覚えがあります。
(それまでテレビはMTVくらいしか見ず、新聞もほとんど読まなかったわたしは、今のようなネット環境ではなかった当時、それ以降ニュースや新聞記事にチャレンジ、情報収集に励みました。)

日本への電話は、とくに関西に住んでいる友人にはなかなかつながらなかったけど、当時鳥取県に住んでいた祖母につながったときに「米子でもけっこう揺れたよ」と聞きました。
大阪に住んでいた友人はかなり驚きはしたものの被害はそれほどでもなく、兵庫ではしばらくお風呂に入れなかったという友人はいても直接の知人が亡くなったり家をなくしたりということはありませんでした。

だからといってはなんですが、その年の夏に日本に帰ると神戸の街が案外片づいているように見えたりして、わたしは震災の恐さを実感しないままなんです。
それでも、建築の仕事に携わることはこの震災後なにか意味があるのでは、とおこがましくも考え、まだ何も為さないまま今に至っています。

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