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2019/09/17

身体のゆがみ

ある本で自分の身体のゆがみ度を知ろうというページがあり、やってみました。
それは、目を閉じてその場で足踏み50回するというもの。
ちゃんと手を振りながらその場で足踏み、終わったときの位置のスタートからのずれにゆがみが現れるということです。

そして、驚愕の結果!
目を開けると、なんとスタート位置から90度横向きに立っていました!
どんだけ歪んでるんだ、わたし。

2019/08/21

ごみ箱問題

独身のころから使っていたペダル式のごみ箱がついに壊れてしまいました。
キッチンの横で使っていたもので、蓋付きなのも良かったし、手が汚れていてもペダルを踏めば蓋が開くので重宝していたんですが・・・


左側がそのごみ箱で、以前リフォームの仕事をさせてもらったお客さんからプレゼントされたものです。
右側は雑貨屋さんで買ったもので、プラごみの分別用にしています。
こうやって、バラバラのものを並べているのは以前からどうにかしたいと思っていたんです。

本来、キッチンの計画をするときにごみ箱の場所は絶対に確保しなければならないと常々思っているんですが、今それを言うのは現実的ではないので、この機会になんとか収まりのいいごみ箱に替えたいと探しているんですが、なかなか・・・。

今いちばんの候補は3万円くらいするので躊躇してます。


2019/08/08

捨てられないもの

アンティークのみならずジャンク含め、建物も古いものが好きで、なかなかものを捨てられないわたしですが、ここ最近の3点について・・・

1・拾ってきた椅子
大ごみで捨てられていた古い椅子。



可愛らしいデザインでつい拾ってきてしまいました。
こうやって捨てられていたものをときどき拾ってきて、家人に呆れられています。
木部はしっかりしているんだけど、さすがに張り地や詰め物は傷んでるので、前にもお世話になったところに直してもらいました。



うん、救出して正解!

2・スカート
かれこれ四半世紀くらい前から持ってるスカートです。
とくにお洒落でもなく、ただ付かず離れずの身幅と素材がこの酷暑にもさらっと着られて重宝してたのに、とうとう生地の限界がきてしまいました。


家着としてももう無理があるのは重々承知していますが、これに代わる着心地のいいスカートがほかになく、今シーズンだけはとこっそり着ています。

3・祖母の日傘
祖母が亡くなって10年くらい経ちます。
お洒落だった祖母の日傘を受け継いで、とても気に入って使っていたのですが、こちらも生地の限界がきてしまったようです。



昔のものだから重いんですが、染めた上に刺繍を施したこんな柄は現在は滅多に見当たらないので、直せるものなら直して使いたいんですが・・・
ちょっと難しいでしょうねぇ。

2019/06/26

エレベーター屋さん


今月中旬の10日間、やたらとしんどくて、でも原因もいまひとつわからず、のろのろと過ごしておりました。
(年齢的に、人はこれをホルモンバランスが崩れて起こる例のアレだと言うんでしょうね。でも、全部それで片付けられるのも困りものですが。)

実家の母にそんな話をしつつ、母がわたしくらいの頃ってしんどいとか言うのを聞いたことなかったなあと思ってたんですが、実はそういう時期があったということを今回初めて聞きました。

そんなとき、買い物に行くのも夕飯を作るのもしんどくて、家族で外食したそうです。
当時の田舎には今のように気軽にこどもを連れて行けるような外食チェーン店もそんなになく、わたしの記憶の中で日常の外食といえば、どさん娘ラーメンとエレベーター屋さん、うちではその2店が定番でした。

『エレベーター屋さん』というのはこどもだったわたしたち姉弟が勝手に呼んでいた洋食レストランです。
田舎なので、路面店でない飲食店が珍しく、エレベーターに乗ってたしか2階にあったその店に行くのはちょっとテンションが上がることで、おぼこいわたしたちはその店のことをエレベーター屋さんと呼び、いつもスパゲティナポリタンを食べていたような覚えがあります。

今はなきエレベーター屋さん、久しぶりに懐かしいことを思い出しました〜。

2019/06/18

倉敷の暮らし

もう1年以上経っちゃった・・・

倉敷に家族で行ったのは去年のゴールデンウィークです。
小学生と生後半年の人が一緒だったので、古民家を再生した一棟貸しの『御坂の宿』というところに2泊しました。
美観地区からすぐで少し上がった斜面に建っているので、町並みを見下ろせ、めっちゃいいロケーションでした。




ゴールデンウィーク中とあって、日中の美観地区は観光客で大賑わい。
飲食店もお土産物やさんも、どこへ行っても人だらけです。

わたしたちが泊まった宿は、調理はNGだけどキッチンや食器などがついていて、お昼は外で食べたけれど、夕飯と朝食は買い出しして部屋で食事しました。

そうして、夕暮れ時に外を眺めると、あれだけたくさんの人が行き交っていた通りがすっかり静かなのです。
理由は、ほとんどのお店が18時くらいに閉まってしまうから。
なんか潔いなぁと感心しました。
観光客はあれだけいるんだから、もっと商売っ気を出して儲けようとか思わないんだ。
昼間しっかり稼いで、夕方には閉めてあとは自分の生活って、豊かだなぁって。
人気の観光地である倉敷だから可能なのかもしれないけど、こういう暮らし方もあるんだなって、わたしの実家もまあまあの観光地に立地しているから、そういう可能性もありか、とちょっと妄想したりもしています。

2019/04/04

エイプリルフール

こどもが春休みで仕事にならないので、実家のある松江に4日間ほど帰省してきました。

知らなかったのですが、イチロー選手の奥さんは松江出身の方だったんですね!
母が月に1度くらい行くカフェにイチローが来たことがあるという情報を仕入れてきて、わたしも以前食べたそのお店:WATERWORKSのカレースープライスをまた食べたくなってたので、一緒にランチに出かけました。

件のカレースープライスですが、メニューに「カレー風味のお茶漬けです」とあり、どこにもない味で、4年前に初めて食べたときに気に入ってしまいました。
なんと梅干し、いぶりがっこ、チーズなどが入っていて、家で再現しようとしてもうまくいかない!
ここでしか食べられない味です。

お会計のときに、母が店主にイチロー選手のことを聞いてましたが、店主曰く「そんな噂ありますねぇ。来てくれるのを待ってるんですけどねぇ」ということで、どうやらガセネタのようでした。
でも、お店に行ったのが4月1日、エイプリルフールだったので、店主の発言ももしかして・・・と思ったりしたのでした。

そのイチロー選手の引退、残念ではありますが、どこまでもかっこいい、本当に素晴らしい姿に惚れ惚れしました。

2019/02/28

『ボヘミアン・ラプソディー』

2018年/イギリス・アメリカ
監督:ブライアン・シンガー

去年から話題の映画ですよね〜♪
わたしも年末頃から観たい観たいと思いつつなかなか叶わなかったのが、やっと観に行けました!

その分、前評判を聞きすぎて、主役のラミ・マレックがアカデミー主演男優賞を取ったりもあって、期待し過ぎたかも・・・
もちろんとても面白かったし音楽も良かったんだけど、涙が出るほどの感動ではなかったし、映画館に何度もリピートすることもないかなぁ。

わたしはめっちゃクイーンのファンというわけではなく、ベスト盤を1枚持ってるだけなんだけど、彼らの音楽そしてパフォーマンスは本当に素晴らしいと思っています。
そうなんだけど、いまひとつ映画にのめり込めなかった理由のひとつは、わたしがフレディをビジュアル的にもけっこう好きだからだろうなぁ。
ラミ・マレックの演技は本当に良かったと思うんだけど、見てくれはどうしようもない。

でも、フレディの孤独や苦悩をこの映画で知ることができて良かった。
フレディは本当に愛すべき人だと思うし、クイーンのライブにリアルタイムで行ってみたかったと切に思う次第です。
もう少し長く生きていてほしかった。

2019/02/08

ベルリン

年が明けてから放送された『アナザースカイ』というTV番組のゲストが電気グルーブでベルリンが舞台ということで観ました。
電気グルーブとしては1997年の『Shangri-La』くらいしかわたしは知らないけど、石野卓球さんはDJとして有名だし、ピエール瀧さんは今やベテラン俳優の貫禄さえあり、よく知られてますよね。
その石野卓球さんが1998年にドイツ・ベルリンのラブ・パレードにDJとして参加したということで、番組でベルリンが取り上げられたのでした。

ラブ・パレードとは1989〜2003・2006〜2010年に開催されていたイベントで、2006年まではベルリンが会場でした。
ピークの1999年にはこの1日に国内外から150万人が集まったそうですが、実はわたしもその中の1人。
当時こういう音楽がとくに好きってわけではなかったものの、100万人が集まるお祭りってどんなんだろうと好奇心から行ってみたのでした。

もともとスウェーデンの友人のところに行く予定で、それならドイツって海をはさんで隣りだからついでに、と思ったのですが、行くにあたって、100万人もの人がいっぺんに集まったら泊まるとこあるんだろうかと、いつも行き当たりばったりの旅行ばかりしてたわたしも少し不安で、スウェーデンの友人にその話をすると、ベルリンにいる友人を紹介してくれました。
そしてその人;モニカが住んでいるアパートの住人がちょうどパレードの期間中不在ということでその部屋をお借りできることに。
というわけで、名前と固定電話の番号だけを頼りにドイツへと出発したのでした。
それにしても見知らぬ外国の女の子(当時)をよく泊めてくれるよなぁと、我ながら思います。
今だったらSNSなどもあるから事前にお互いの顔写真などいろいろ情報をやり取りしたりとか打合せとかできるんだけど。

飛行機はフランクフルトに着いて、そこから公衆電話でまずモニカに連絡。
彼女はまだ寝てたようで、待ち合わせの話をしながら大丈夫かなぁと思ったのをおぼえています。
フランクフルトからベルリンへは電車。
もう20年も前のことで記憶は確かではないけど、モニカの指示で動物園駅で待ち合わせたと思いますが、かなり大きな駅でこんなところで顔もわからないのにどうやって会えるの〜、と思ってたら会えました!
モニカ曰く「会おうと思ってたら会える」。
ちょっとスピリチュアルな人だったかもしれないけど、44歳で1人暮らし、看護士をしながら大学に通っていて、15歳下のボーイフレンドがいるというかっこいい女性でした。

ベルリンの壁崩壊からちょうど10年後のその街は、東側の雰囲気を残しつつ、あちこち建設ラッシュで街全体が工事現場のような異様なエネルギーが溢れていました。
一見廃墟に近いような建物の中にギャラリーがあったり、入っていいものか躊躇するような中庭にカフェがあったり、しばらく滞在する間、ドキドキしながら毎日歩き回りました。

モニカがわたしと同年代で建築をやっている従兄弟を紹介してくれて、パレードにはその従兄弟;パトリックとその友人と一緒に行きました。
パレードはただただ人が多く、全体像が見えず、とにかくずっと人波に流されながら歩き続けたような気がします。

パレード自体より、その時期のベルリンの街に行けたのが収穫でした。
そして現地の一般の集合住宅に滞在できたことも。
ベルリンの人はクールで居心地のいい距離感で接してくれたのが、大人の街という印象。
ドイツでもほかの街だったらまた違う印象でしょうね。

モニカにはしばらくの間感謝の気持ちからクリスマスカードなど送っていましたが、「わたしにはそんなの要らないわよ」的なことを言ってくれたのでそれ以降はとくにやり取りしていません。
でも、パトリックは日本に来たらいつも連絡をくれて数年に一度会います。
お互いに家族ができてもそうやって続く関係は、旅先で出会った中でも貴重です。

電気グルーブの番組から、20年ぶりにベルリンの旅を思い出して少しセンチメンタルな数日を過ごしました。
あ〜、またぶらっと旅行に行きたいなぁ。